志ん生は良い
NHKが持っている志ん生の口演映像は4つ。
今までは、「風呂敷」だけがソフト化されていた(と思う)。
この映像集は、4作品全て(「風呂敷」「巌流島」「おかめ団子」「鰍沢」)を集めた上に、インタビューや特集番組などを含めた3枚組。
「鰍沢」は脳出血で倒れた後の映像で、他の映像でよく分かる表現豊かな右手が全く使えない。
言葉だって後遺症からぱっぱと勢いよく話すことができないだろうか、じっくりと取った間が何とも言えない気迫が感じられる。
見本のような口演なら圓生の映像や『圓生百席』から聴くと良い。
それを踏まえた上で、志ん生を観ると、生き生きと言うには足りない生々しさが心を打つ。
『婦人の時間』(1963年9月19日放送)では、噺家になるきっかけは、人力車夫の“セイさん”だったことが語られている。
えっ?
『いだてん』の清さんって実在の人物だったんだ!?
驚いた。
【NHKアーカイブス】にはそのインタビューの抜粋が掲載されている。
八代目 林家正蔵
のちの林家彦六。正蔵は海老名家から借りた名であったので、1981(昭和56)年に林家彦六に改名した。
「笑点」で木久扇によくモノマネされる大師匠。
「そんな了見だから昇太さん、あんたのとこには嫁が来ない」
林家木久扇の持ちネタ『彦六伝』を生で見たことがあるが、最高に面白い。木久蔵時代、1990年代前半の口演があったので、youtubeを貼っておきます。傑作。
この落語を聴いてから、正蔵(彦六)を聴くようになった。
幽霊噺と芝居噺の名手。
出囃子は菖蒲浴衣。
上手いのかというと、なんだか硬い。表現がガチガチで感情移入がしづらい。
上ずったような語り口で面白くないのかというとそうでもない。
地の語りにも味がある。個性的な語り口なのに、演者が消えて噺だけがぽっかり浮かんでいる不思議。
人物描写の描き分けが上手くグッと人を引き付ける噺家ではない。圓生とそりが合わなかったというが、然もあらん。
その圓生とのリレー落語は残されている。
NHK落語名人選(80) 六代目 三遊亭円生〜八代目 林屋正藏 真景累ケ淵(リレー落語)
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イラストが逆なのはご愛敬。
モンティ・パイソン
海外コメディのお気に入りは、『空飛ぶモンティ・パイソン』(1969-1974)と『SOAP』(1978-1981)。
空飛ぶモンティ・パイソン
モンティ・パイソンはイギリスの代表的なコメディグループで、人気、知名度共にビートルズかモンティ・パイソンかという具合だ。
日本では1976年から彼らの看板番組『空飛ぶモンティ・パイソン』が東京12チャンネルで開始された。
メンバー6人と吹き替え(自分の中での主な役柄)は下記の通り。
グレアム・チャップマン:山田康雄 - ルパン三世、クリント・イーストウッド
ジョン・クリーズ:納谷悟朗 - 銭形警部、チャールトン・ヘストン
テリー・ギリアム:古川登志夫 - 諸星あたる
エリック・アイドル:広川太一郎 - ジョン・レノン
テリー・ジョーンズ:飯塚昭三 - ネオ・コルテックス(クラッシュ・バンディクー)
マイケル・ペイリン:青野武 - 真田志郎(宇宙戦艦ヤマト)
映画好きならテリー・ギリアムあたりがピンとくるかも知れないが、声優陣はほとんどの方がご存知(あるいは聞いたことがある)のレジェンドばかりだ。
「空飛ぶモンティ・パイソン」“日本語吹替復活”DVD BOX
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同時代の事件や哲学に敏感に反応するとともに、同性愛や民族・宗教上の差異を扱ったきわどいネタも多く、そのナンセンスさと毒の強さは以後コメディにとどまらず多くの欧米文化に影響を与えた。wikipedia
当時楽しんでいた方なら、数あるモンティ・パイソンのDVDの中でも、“日本語吹替”BOX以外の選択肢はない。声が良いんだなあ・・・。
スパム Spam
迷惑行為を表す「スパム」の語源となったのが、このスケッチ(コント)。
何故かヴァイキングのたくさんいる大衆食堂にバン夫妻(エリック・アイドル、グレアム・チャップマン)が天井から吊り降ろされてやってきて、厚化粧のウェイトレス(テリー・ジョーンズ)にメニューを尋ねる。ウェイトレスはメニューを読み上げるが、その中は「豚肉と煮豆とスパム」「スパムと卵とソーセージとスパム」「スパムとスパムとスパムとスパムと煮豆とスパムとスパムと…」などと「スパム」ばかり入っている。スパム嫌いのバン夫人(チャップマン)は逆上するが、ウェイトレスはスパム入りのメニューしかないと言い張る。「スパム」が連発されるうちに、周りにいたヴァイキングたちが「スパム、スパム、スパム……」と合唱を始め、食堂はわけのわからない状態になる。 そこへハンガリー人(ジョン・クリーズ)がハンガリー・英語辞書を手に現れるが、辞書頼りのためウェイトレスへの注文が卑猥な発言(「かわいいお尻ちゃん」「私の腸はスパムでいっぱい」)になってしまい、不審者として警官に連れて行かれる。 カットが変わって歴史学者(マイケル・ペイリン)が登場し、ヴァイキングについて語り始めるが、その話の内容もすぐスパムだらけになり、背景の幕が吹っ飛ぶとそこは元の食堂で、結局ヴァイキングが合唱。食堂をバックに流れるクレジットも「SPAM」で溢れている。wikipedia
文字で読んでもちっとも面白くない・・・つまらん。
『空飛ぶモンティ・パイソン』のエッセンスを気軽に楽しむには、彼らの劇場版第一弾『モンティ・パイソン・アンド・ナウ』(1971)。
『空飛ぶモンティ・パイソン』の人気コントを映画用に撮り直したものだ。Blu-rayで発売されているので高画質でナンセンスを楽しめる。もちろん、先の声優陣の吹替版も入っている。
バカバカしすぎて、怒る人もいるかも。
八代目 桂文楽
ブログを公開で書いている以上、読み手を意識している。
落語の記事は、知っている人は分かるけれども一見さんお断り的な内容になりがち。今回もお許しを。
全盛期の桂文楽を知りたい、聴きたいと思っても叶わぬ夢だ。
1954年:ポリープ除去のため、それ以前より声の艶が劣ったと言われた。
1961年:入れ歯のため、口跡が悪くなる。
1954年以前の録音はSP用録音しか残されていないのでは?
録音の質を考えると、“声の艶”云々と言えるレベルではないと思う。
そうなると、1961年以前を対象に“これぞ文楽という録音は?”ということになるが、こちらも非常に少ない。
1954年のポリープ除去以降しばらくは本人も声質の変化に戸惑いと苛立ちがあったようで、入れ歯前であっても“これぞ文楽の真骨頂”という録音はないのかもしれない。
出囃子は野崎。
息子が道楽者だと親は心配するが、あまりに堅物すぎても困りもの。日向屋の若旦那・時次郎は、部屋にこもって難解な本ばかり読んでいるような頭の固い若者。そのあまりの堅物ぶりに閉口した父親は、「遊びも知らぬ世間知らずでは困る」と、町内でも「札付きの遊び人」の源兵衛と多助に、時次郎を吉原に連れて行くよう頼み込む。 費用は日向屋持ちというので二人は面白がって大張り切り。時次郎を「お稲荷様のお篭り」と称して誘い出した。 まんまと騙された時次郎、信心事ならば詣りましょう、と何の疑いも持たず、連れて行かれたのは吉原の大店。そこでも遊廓を「神主の家」、女主人を「お巫女頭」、見返り柳はご神木で、大門が鳥居、お茶屋を巫女の家だと言われ、堅物の時次郎は素直に奥へ上がってしまう。 二階で遊女たちに囲まれ、店一番の美しい花魁を前にして、やっと真相に気づいた時次郎。慌てて逃げ出そうとするが「大門には見張りがいて、勝手に出ようとすると袋叩きにされますよ」と多助に脅され、どうしようもなくなって泣く泣く花魁と一夜を共にする羽目に……変な客もいたものである。 翌朝、源兵衛と多助はどちらも相方の女に振られて詰まらぬ朝を迎え、ぶつくさいいながら時次郎を迎えに行く。 戸口に立った二人が出くわしたのは、「男女の理」というものを一夜とっくりと思い知らされ、花魁の魅力にすっかり骨抜きにされた時次郎。一方の花魁も、時次郎のあまりにうぶなところが気に入ってしまい、初見から惚れ込んで離さないという始末。遊び人たち、あまりの事態に閉口する。 時次郎が(花魁に離して貰えず)布団から出てこないので、クサって「帰りましょうや」と言う源兵衛と多助に、「勝手に帰りなさいな、大門で止められる」wikipediaを編集
録音記録:東京落語会(42) 1962.12.14 ヤマハホール)
桂文楽の十八番。
判で押したように同じリズム、同じ口調。つっかえたり言い間違えたりがほとんどない。磨きぬかれたものを高座に掛けていたのだろうから、聴く側も、僅かな“艶”や“口跡”の違いに敏感だったのかもしれない。
“弁慶と小町は馬鹿だなぁ嬶(かか)ぁ”
“土足でやってくださいよ、遠慮しちゃ、美味くない”
“いざってえ時に商いの切っ先が鈍っていけませんよ”
“おいおい、君、引き出しを違えちゃいけねえ”
“図々し学校卒業生”
“堅餅の焼き冷ましみたいな人間”
文楽は、アドリブは少ないと思うが、卓越した言葉選びと造語の面白さは志ん生に負けない。狙いすましてサクッと切り捨てる凄み。
堅物の若旦那・時次郎、花魁の浦里。
時次郎(豆の佃煮)、浦里(コブの佃煮)も大阪にある佃煮屋の品名だったというが、今もあるのだろうか?
たぶん、小倉屋なんでしょうね。小倉屋 - Wikipedia
志ん生と違い、映像もしっかりと残っているのはうれしい限り。
このDVD集には「明烏」が3本収録されている。
1962年:TBSに残された最古の落語映像。
1968年:「第五次落語研究会」最初の文楽の姿が見れる。この歳で“研究会”に参加できるなんてとノリノリで、珍しく小噺を頭に入れている(何だか妙な空気が流れて・・・大して面白くはないw)。
1971年:カラーで残された「明烏」。亡くなる年の収録。
最晩年のカラー映像では、あの完璧なはずの文楽が言い淀んだり、噛んだりするのだ。
こちらの勝手な憶測にすぎないが、後世に残ることを意識しながら、その衰えの中に見せる凄みと悲しみを感じてしまう口演に涙が出てくる。
泣きの文楽にこちらが本気で泣けてしまうのだ。
スネークマンショー - 急いで口で吸え -
スネークマンショーだ。
横文字だとSnakeman showだが、カタカナ表記でも中黒は入らない。
スネークマンショーだ。
ソニーミュージック内にオフィシャル(なのか?)サイトがある。
::::::::::SnakemanShow::::::::::
時代遅れのFlashを要求するサイトなので要注意だ。天下のソニー様なので、変なことにはならないと思うが自己責任でクリックしよう。
サイトに貼られているリンク先は、切れていたりドメインが売りに出されていたりしてナイスだ。
サイトの幅は760px・・・幅800pxが推奨されていた時代、スクロールバーが表示された場合のマージンを取って760pxで作る・・・実に基本に忠実だ。素晴らしい。
現在、苦労せずに手に入るスネークマンショーのCDは5枚。
左から、
『スネークマン・ショー (急いで口で吸え!)』(1981年)
『死ぬのは嫌だ、恐い。戦争反対! 』(1981年)
『スネークマンショー 海賊盤』(1982年)
『ピテカントロプスの逆襲』(1983年)
これらに加えて、ラジオ番組 「スネークマンショー」のネタを集めた
『スネークマンショー・アンソロジー 』(2004年)
ポール・マッカートニーがウィングスとして来日した1980年。成田で大麻所持のため拘留・強制送還。全公演が中止になった。たしか、日本テレビあたりが、特集番組まで組んで来日をあおっていて、楽しみにしていたのに、全てがおじゃんになった(志ん生ネタを微妙に引っ張ってみた)。
スネークマンショーのファーストアルバムには、そんなポールネタ「はい、菊池です」(大麻所持で逮捕されたポール・マッカートニーが取調室で横柄な警官(菊池)にサインを何枚も頼まれるという寸劇)も入っている。
時代を映す鏡・・・なわけもなく、自分たちが面白いということ好き勝手にやって、メジャーデビューしたらあっという間に空中分解したコントユニットがスネークマンショーだ。
80年代はエロに消極的なヤツはいなかった(少なくとも自分の周りには)。
エロも差別も戦争もドラッグもジョークでぶっ飛ばした。
ブラックジョークとはこういうことだ。
残念ながらスネークマンショーのアルバムがなかった。YMO『増殖』より
音楽の合間に寸劇・ギャグが入るというスタイル。
自分の音楽的嗜好はスネークマンショーで作られたんじゃないか?と思うほど
今聴いてもスッと入ってくる選曲が光る。
エロ度かなり高めなので、みんなで聴くには躊躇してしまうが、懐かしくも色褪せないイケてる音楽とギャグに笑い転げてしまう。
これを繰り返し聴いているのもどうかとは思うけど(-_-;)。