Now And Then そして 赤盤、青盤
リマスターではない。
リミックスなのだ。
技術の進歩と歩調を合わせて創造のイマジネーションを広げたビートルズらしいなと思う。
デビュー当時、録音機材は2トラック。その後、『Help!』あたりから4トラック、そして『Abbey Road』は8トラックだろうか。
初期でも、一発録りながら、後にオーバーダブのリスクを冒しながらも重厚な音作りをしていた。
4TR、8TRと自分たちの理想に近い音作りが出来るようになることと引き換えに、メンバー間の共鳴は軋轢に変わりライブ感も薄れていったのか。
そんな勝手なセンチメンタリズムには関係なく、数多くの名曲を残し走り抜けた。
ビートルズに関してのきわめて個人的な原風景は、幼稚園に上がる頃、近所に自分をとても可愛がってくれていたお姉さんがいた。
大っぴらに聴けないのか、押し入れの中で抱きかかえられながら聴かされたのがLove Me DoだったかShe Loves Youだったか・・・甘美というか淫靡というかそんな諸々が綯い交ぜになったイメージがロックでありビートルズだった。
小学3年生あたりでは居候の大学生の聴く洋楽を聴いていたが、中学に入る頃には、もうビートルズは解散してしまった。
さて録音の話だけれど、2トラックでは片方にボーカルやコーラスを入れ、もう片方に楽器演奏を録音する。monoが当たり前だから、ミックスする時に声と演奏のバランスをうまくコントロールできたのだろう。
だが、後年それを違和感のない2chにすることは難しかったと思う。
ステレオ盤も買ったけれど、mono盤が正義という感じだった。
ザ・ビートルズ: Get Backを視聴 | Disney+(ディズニープラス)
ピーター・ジャクソン監督『ザ・ビートルズ: Get Back』で使われたオーディオ・デミキシング技術は革命だ。音源分離技術(デミックス技術)で1トラックから特定のパートを取り出すことが可能になった。
先ほどの2トラックで言えば、メインボーカルとコーラスを分離、演奏トラックからギター、ベース、ドラムが分離できる。
録音トラック数の制限で埋もれてしまった混沌とした音の塊を個別に分けられるなんて
・・・初期の作品ほどその恩恵を受けると思い、赤盤は楽しみだった。
驚いた。
驚いたというよりも衝撃だった。
自然なステレオ感は予想通りだったのだけれど、それだけではなく、音の分離が衝撃的でいままで親しんできた曲のイメージがひっくり返る。
Now And Thenは新曲だったから、こんなもんかと思ったが、聴きなれた曲は変化の幅が大きすぎて新録?(あるはずないのだが)と思ってしまうほど、それぞれのパートの立ちが良い。
タイトだった。甘っちょろいと思っていた曲がグルーブ感があって黒っぽかったり印象が変わる。それを各曲ワクワクしながら楽しめた。
青盤は期待していなかった。当時でも十分効果的な多チャンネル感を実現できていたと思うし、その創意を無にするような大幅な変更はありえないからだ。
それでも各パートの輪郭がはっきりしていて有機的に絡み合うさまは頭がくらくらしてしまうほど刺激的だ。
こういった技術が更に進化すると、当たり前だが、なかった演奏を作れるようになるのだろうか・・・。
倫理観が問われる世界はもうそこまで来てしまったということか。
不思議な感覚に襲われたビートルズのリミックスバージョンだった。
でもいえるのは、mono盤には戻れない体(耳)になってしまったということ。
良し悪しは別にして。
ゴジラ-1.0
予告を見る限り、「・・・ゴジラ-1.0」とタイトルを言う女性の声が萎えるんだよなあと失礼なことを思っていた。
加えて、現実に今、裕福じゃないしこの先の不安ばかりなのに、戦後の焼け野原に更に追い打ちをかける災禍=ゴジラという図式が重すぎて、劇場に足を運ぶ気持ちが萎えていた。
特撮映画は、怪獣がメインではない。
ゴジラが出てきて大暴れはそんなに楽しいものではない。
怪獣が存在するというシチュエーションを架空の絵空事としてではなく、現実的なリアリティをもって描かれているか、役者の力量だけではなく作家の力量が問われるドラマだと思う。
前作『シン・ゴジラ』は、この架空の出来事が現実に侵食していく様が見事で興奮した。
それを超えないまでの満足の特撮映画になっているのか?
山崎貴監督は、特撮とは言わずVFXという言葉を使うのは、白組だからなんだろう。
かなり情報が流れているから、ネタバレありで書いていこう。
過去作へのオマージュや挑戦がちりばめられていて、感涙に堪えない。
言葉のあやではなく、本当に大泣きしてしまい、涙で良く見えないシーンもあったと思う。
シン・ゴジラとの直接対決(?)を避ける形で、時代を終戦直後に持っていったのは、破壊シーンでは絵になっていて大正解。
ポリティカルな場面を排除し、市井の一般人によるゴジラとの闘いも、ドラマと闘いが乖離することなくシームレスに進むから熱い。
東宝自衛隊的な秘密兵器なしに対決するのも新鮮だった。
秘密兵器はないけれど、終戦時に残存していた戦艦を連合軍から譲り受けて・・・というところがマニアにはたまらない。特に重巡・高雄のゼロ距離砲弾の迫力は良い絵だった。
最終兵器として登場したのが、局地戦闘機・震電。
登場シーンでは、うおーっと声が出て前のめりになってしまった。
最近、掩体壕保存に関してのクラウドファンディングが話題になっていた。
この大刀洗平和祈念館には、震電の実物大模型がある。
東京の映像制作会社から買い取り7月から公開が開始しているのだが・・・まあ、その経緯を見る限り、これってゴジラ制作用に作ったやつということでOKですよね?
映画で震電が登場した瞬間に、こいつだ!と思った。
だから何だというのではないけれど、マーカライトファープやメーサー殺獣光線車、スーパーXに勝るとも劣らない秘密兵器感があって勝手に盛り上がってしまった。
怪獣に蹂躙される人々をどこまで描くかは悩ましいところ。
ただ破壊を続ける怪獣を描いても、人がいなければ恐怖は伝わってこない。
そこに自分がいる臨場感をどう描くか。
踏みつぶされる絵をどこまで許容するか。
言い方は悪いが、思いっきりよく振り切ったのは『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』。
渋谷を破壊するガメラは本当にヤバい。
で、そのガメラをぶっちぎったのが今回のゴジラ。
体験型ゴジラ映画というべき没入感の高さは最恐だ。
音楽も唸ってしまった。
『シン・ゴジラ』では旧作ゴジラの曲をモノラルで用いることで効果的に使われていた。
今作ではこれでもかというほどにゴージャスなフルオーケストラバージョンだ。
絵の迫力をより引き立たせるにはこれだったのだろう。
それから、その使い方が泣かせる。
ゴジラのテーマ曲として有名なドシラ ドシラ ドシラソラシ ドシラ♪は、実際にはゴジラに対抗する人間側に使われていた曲だった。
今回はそれをしっかり踏襲して、人間側で使われていた(それもかなり悲壮感のある)。
子役は全てをもっていく。
主人公・敷島とひょんなことから共同生活を営む典子とその連れ子・明子。
この明子は空襲時に託された子どもで血のつながりはないが、典子を母、敷島を父と慕う。
その芝居の健気なことといったら・・・思い出すだけで泣いてしまうよ。
朝ドラの子役たちもすばらしかったのだけど、浜辺美波との何気ない掛け合いが自然過ぎて・・・彼女から何か子供たちが慕いたくなるオーラが出ているのだろうか?
とにかく、子供絡みの描写は反則技だ。
日本のVFXを馬鹿にしてみてきたというか、まあ仕方ないよねと瑕疵を諦め気分で受け入れていたけれど、ここまでやってくれたなら十分すぎるほどだ。
凄いなあと素直に思う。
イマジネーションがあるならば、自由に絵作りが出来るレベルになったことがうれしい。
子供だましに、画面をくるくる回したりする必要はない。
その点、山崎監督は失敗も含めて経験値が豊富だったから、落ち着いた迫力のある絵が描けている。これって凄いことだと思う。
ストーリーに関しては、脇道もほとんどなく、ストレートに堂々と進む。
伏線というかネタばらしも分かりやすく、よほど鈍い人でなければ、ですよね!と種明かしに意外性もなく安心できる。これをつまらないと思う人もいるのかもしれないが、娯楽としてのゴジラ映画としてはプラスにしかならないと思う。
浜辺美波が全部持っていく映画かと高を括っていたが、最高レベルの怪獣映画をみせてもらえた。
ありがとう。
SONY MDR-MV1
たまたま見たレビューが高評価で、気になってしまって買ってしまった。
クリエイトする予定はない。
使用目的は、音楽や映画・ドラマを聴くため。
入っているのは、本体、φ6.3mmステレオ標準プラグのヘッドホンケーブル、φ6.3mm→φ3.5mmステレオミニプラグアダプター。
使っているアンプが、バランス接続可能なので後日それ用のケーブルが届く予定。
スエード調のイヤーパッドが心地良い。
デザインは・・・ムムムな感じだけど気にしない。
開放型ヘッドフォンなので、低域が弱いかなと思っていたら、なかなかパワフルに下が出てると思う。
いつもカナレ型イヤホンかST-90-07だから、ユニットの大きさも手伝ってしっかりした音が心地良い。
ステレオの音楽よりも、映画やドラマでその音場感(空間表現)が抜群に良い。
前後左右上下の音の位置が確かに分かる。
癖になる面白さ。
慣れた音源であればあるほど、そうなの?!と驚いてしまう。
しばらくは寒くなる一方だし楽しめるな・・・耳を覆っているから、夏場は勘弁かな・・・贅沢言うな。
VIVANTなど
『いだてん』を最後まで観てから、テレビドラマをよく観るようになった。
朝ドラも好きだし大河も観る(『どうする家康』は途中で脱落・・・)。
最近では、何といっても『VIVANT』でしょ。
朝ドラでも『カムカム』あたりから伏線回収的な楽しみ方が強まったように思う。
『VIVANT』はその伏線がてんこ盛りでSNS上でも大いに盛り上がって、展開予想が花盛り。
よくまあそんなとこまで観てるんだと感心すること然り。
テレビ局もここで乗らずにいつ乗るのとばかりに特番組みつつ本編突入ですよ。
夜の7時から11時近くまで“VIVANT祭り”なんだから、“こういう熱狂に飢えてたんだろうなあ、テレビマンさんは”と、いじらしくもあり泣けてくる。
予算も相当だったようなので、この成功体験から他局も予算をかけたしっかりしたドラマ作りを始めてもらえるとうれしいかな。
ネトフリやアマプラで良質なお金をかけた海外ドラマを見慣れた身にはチープな絵面はそれだけで萎えるんだと思う。
ドラマの本質とは離れるのかもしれないけど、舞台装置は大事だからね。
気を引く努力はしてほしい。
もう一本観ているのは、『何曜日に生まれたの』。
これは飯豊まりえさん目当てだったりしたのだけれど、挿入歌にやられた。
The Hollies「Bus Stop」、野島伸司さんっぽいな。良い良い。
リアタイではなくて配信で観てるけど、『ハヤブサ消防団』『シッコウ!!~犬と私と執行官~』もチェック。
見逃してもしばらく観られるのはありがたい。
SONY WF-1000XM5
仕様に関しては、もっともらしいことを書くのも何なので、公式サイトをご覧ください。
過去記事を見たが、M4の話はしていなかったんですね。
今日、1000XM5が届いたので、早速使ってみた。
定番の紙パッケージ。
本体、充電ケース、USBケーブル、イヤーピース3種(Mサイズは本体に装着済み)、使用上の注意等紙片数枚(マニュアルはネット上から閲覧かダウンロード)とシンプル。
M4とのサイズ比較。小さくはなったが滑りやすいので取扱注意。
ピアノブラック風ですべるすべる。
M4ではお気に入りのイヤーピースを使っていたけれど、こちらだと使えないかな。
ノズル部分に保護カバーがないため、ゴミの混入が予想される。
イヤーピース側に保護膜的なものがないと怖いかも。
しばらくは純正を使うことにしよう。
ちなみに、上の写真のイヤーピースはSサイズ。
ノイズリダクションが強化されているようだけれど、そんなに興味はない。
M4でも十分だと思っている。
音楽を聴く道具なのだから、音が大事。
下は、ボワッとして輪郭がなくボンボンいっているだけなどということはなく、芯がしっかりしていてはっきりしている。
ステレオ感は自然で広がりがあって前後感も上手く表現していると思う。
それぞれの音は潰れることもなく、立ちが良いのかな?
ただ、おっ!?というほど意外性とか衝撃とかはなく、ナチュラルかな。
たまに、来るねえと思うドシンとした瞬間はあるけど。
装着感は軽くなって小型化した分、違和感なし。
今までも違和感なかったけどね・・・。
M4使っていて文句がなければ買い替えるほどではないかな。
新しもの好きで、わずかなスケールアップでもするならというなら買い。
決してダメではないけど、狙いどころはどこなんだろう?
この書き方だとネガティブな感じになってるかな?
M4は手放すので若干は戻るとはいえ、4万円は・・・という費用対効果的に・・・あれ?
今、使いながら書いているんだけれど、下が元気よくなってきた。
ああ、これなら良いかも・・・うんうん、良い良い。
エージングは進むと、がっちり下が出てくるのかも。
中域も線の細さがなくなって押しが強くなってきた。
買いだ。
買いで良かったんだ!