120rpm

ミル、キク、モノ、コト

道(La Strada) - 孤独の果てに見る夢は? -

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道(La Strada(1954)

怪力自慢の大道芸人ザンパノが、白痴の女ジェルソミーナを奴隷として買った。男の粗暴な振る舞いにも逆らわず、彼女は一緒に旅回りを続ける。やがて、彼女を捨てたザンパノは、ある町で彼女の口ずさんでいた歌を耳にする……。野卑な男が、僅かに残っていた人間性を蘇らせるまでを描いたフェリーニの名作。allcinema

暴な解釈が許されるなら、『道』は芝居だ。

アクション
モーションで普遍的な感情を喚起させる演技
芝居
わずかなニュアンスの違いで個人的な心情を表現する行為 

と勝手に解釈している

その芝居が示唆するものは何か。芝居から多様な解釈が生まれる。フェリーニが示そうとした何かとは違ってもかまわない。それが、映画だと思うから。

『道』の骨子をなすドラマの要素――身売り、大道芸人のつらい生活、仲間割れ、窃盗、殺人、離別、死――というネガティブなものだけではないポジティブさはあるのか?
ザンパノは粗野で乱暴者?
映画紹介サイトのストーリーでは、ザンパノは○○な男でと雑に書かれてしまうけれど、観る人ごとに感じ方が違うようだ。自分などは、ジェルソミーナにコーヒーを渡すシーンなどにザンパノの不器用な優しさを見てしまう。怒る場面ですら、母親に見放された子供が必死ですがるような切なさを感じて、胸が締め付けられる。ザンパノ、ジェルソミーナ、イル・マットら登場人物たちの“孤独”とそれから逃れようともがく不器用さが映画全体のトーンになっているけれども、そのもがきが“だって仕方ないよね”という諦念ともとれるあっけらかんとした乾きがあるところが厄介な魅力だ。

前時代・差別・蔑視・唐突な転換
意図的にカットされたシーンがあるがために、伏線が切れている。結果、人生は全てが“回収”されるわけではない、報われないこともあるのだという当たり前が描かれていて、妙に腑に落ちたりする。それだけに、映画や物語は伏線を回収して当たり前と思う向きには全く受け入れられない映画かも。

今の感覚(それは表向きだけで腹の中はどうなんだよと思うが)から乖離した倫理観に目を逸らしつつも吸い寄せられてしまう劇薬のような映像表現。
前時代的倫理観だ、それは差別だ、蔑視だとキャンキャン吠える輩が真の差別者だと思っている。

差別と区別は違うのです。差異を示しつつ受け入れるのが区別

抗い切れない不平等や己の生の不幸を嘆く気持ちを脱ぎ捨てて、さらりと受け入れて飄々と生きていく市井の暮らしが垣間見れる・・・そんな映画が切なくなるけど自分は大好きだ。 

 

道 Blu-ray

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