河童は、いる
子供の頃、福島の会津地方で育った。
近隣で猟師が誤って親熊を撃ってしまったからと、子熊をほんのしばらく預かったことがあった。
図体のデカい秋田犬がまさに尻尾を巻いてチビッていた。
そんな田舎だから今でもカモシカが町に出てきたとか、川向うで熊がいたなんて普通の事だ。
祖母から“尻子玉ぬかれっつぉ!”と川へ泳ぎに行こうとすると注意された。
尻子玉(しりこだま)とは、人の肛門の中にあるとされた想像上の玉で、河童の好物ということらしい。
小さな滝つぼがあって、大きな流れもないから子供たちの格好の遊び場だった。
ひとしきり泳ぎ疲れて、夕立も来そうな空模様。
皆はすでに上がっていて、“はよ、来(き)っせ”と促され、上がろうとしたその時だ。
ズルッと海パンを脱がされた。
おいおい!ふざけんなと思い、陸を見ると、遊びに来た仲間が全員いる。
失いかけた海パンに手を伸ばすと、明らかに手のようなものに触れた感覚があった。
必死になって海パンを上げつつ、這い上がって振り返り水中を見たが誰もいなかった。
河童が出た!
友だちは誰一人信じてはくれなかった。
今から、50年近く前の話になるが、その頃ですら、そんな妖怪話など子供たちですら信じていなくって、いい大人になっても信じているのは、自分だけなんだろうな。
雪が解けて良い季節になったら、遠野に行こうと思う(毎年フッと思い出しては行きたいなと思っている)。
肯定するでもなく否定するでもなく、鷹揚に受け入れる。
そんな感じが心地よい。