120rpm

ミル、キク、モノ、コト

たがやの首はなぜ飛ばぬ

たがや

時は遡って安永年間、川開きの当日は花火大会が開かれており、両国橋は大勢の人でごった返していた。そんな中を馬に乗り、お供を連れた侍が通りかかる。身動きが取れないのだが、侍達は町人達を無理やり掻き分けて通ろうとした。 と、反対方向から道具箱を担いだたが屋が通りかかる。唯でさえ混雑している上に侍の登場だ、たが屋はあちこち振り回された上に道具箱を落っことしてしまった。その途端、中に入っていた箍(たが)が弾けてその先が侍の笠を弾き飛ばしてしまう。 頭に来たのはお供の侍だ、謝るたが屋を手打ちにすると言い出し大騒ぎ。町人達が許すように言っても聞こうとしない。とうとうたが屋も堪忍袋の緒が切れてしまい『斬れるものなら斬ってみろ!』と開き直ってしまった。 気圧された供侍が斬りかかってくるが、刀の手入れが悪い上に稽古もサボっていたせいで腕もガタガタ、あべこべにたが屋に刀を叩き落されてしまった。慌てて拾おうとするが、たが屋が手を伸ばすほうが早く、供侍は切り餅みたいに三角に。 焦った主侍が、中間から受け取った槍をぴたっと構える。今までの奴と違って隙はない、そこでたが屋はわざと隙を作ってみた。そこへ侍が突きかかってくる、焦ったたが屋は槍をつかみ、遣り(槍)繰りがつかなくなった侍は槍を放して(槍ッ放し)刀に手をかける。が、たが屋が斬りかかるほうが早く…。 侍の首が中天にピューッ…。見ていた見物人、思わず… 「上がった上がった上がった上がった上がったィ!どうでぃ綺麗じゃねぇか、たァが屋ァ〜♪」ジュゥッ

たがや - Wikipediaより

題は、ラストシーンで誰の首が宙高く舞い上がるのかということ。
この噺、立川談志でいつも耳にしていたので、最後に首が飛ぶのは“たがや”であると疑いもしなかった。

そりゃそうだ、無礼とはいえお供の侍を切り殺したのは“たがや”なのだ。喧嘩両成敗じゃないが、最後にやっぱり“たがや”の首が飛びました・・・でしょ?

ところが、十代目 金原亭馬生の『たがや』を聴いていたら、首が飛ぶのは侍の方だった・・・おやおや・・・お父上の五代目 古今亭志ん生は・・・やっぱり侍か。。。

浜野矩随

父親は名人といわれた刀剣の付属品の腰元彫り師だったが、息子の浜野矩随は、足元にも及ばないへたくそで、父親が死んでからは、得意先からどんどんと見放され、芝神明の骨董屋の若狭屋甚兵衛だけが、矩随のへたな作品を義理で一分で買ってくれるだけ。今は八丁堀の裏長屋での母親と細々と暮らしている。  ある日、矩随が馬を彫って持って行くと、若狭屋は「足が3本しかないではないか」と怒り、手切れの五両をやるから、母親に渡してお前は吾妻橋から身を投げるか、松の枝に首をくくって死んでしまえと冷たく言い放った。  そこまで言われた矩随は死ぬ覚悟を決め、母親に無尽に当ったと言って五両を渡した。矩随の様子から若狭屋での一件を見抜いた母は、「死んでおしまいなさい」と突き放し、その前に形見に観音様を一体彫ってくれと頼む。  母親からも見捨てられたと思った矩随は、水垢離をしてこれが最後の作と、一心不乱にまる四日間、観音像を彫り続けた。隣の部屋では母親が一生懸命に念仏を唱え続けていた。彫り上がった観音像を母親に見せるとその出来栄えの良さに驚き満足し、若狭屋に持って行って三十両で引き取ってもらえという。そして矩随に碗の水を半分飲ませ、残りは自ら飲んで見送った。  矩随はおそるおそる観音像を若狭屋へ持って行くと、一目見た若狭屋が「まだ父親の作が残っていたのか」と見間違えたほどの立派な観音像だ。三十両で買い取るという若狭屋は観音像の足裏に「矩随」の銘があるので、「何でこんなことをしたんだ」と怒る。  矩随は母とのやりとりからの顛末を話すと、若狭屋も納得、碗の水のことを聞いて水杯とピンと来た若狭屋は急いで家に帰れという。八丁堀の裏長屋に駆け戻った矩随だが、母親は手首を切ってこと切れていた。  これをきかっけにして開眼した矩随はさらに精進し、後に父にも劣らぬ名人と言われるようになったという一席。

浜野矩随(落語散歩223)より

この噺もエンディングが2パターンあって、講談風にいけば“母の死を無駄にはするまいと奮起し名人となっていく矩随の姿があった”となるが、母が助かるバージョンもある。

去年見た円楽の高座では後者のバージョン・・・“ご意見はございましょうが、こちらで”と言っていたのは歌丸師匠がまだ存命だったため人の死を語ることを避けたのか。
あるいは先代圓楽が行ったバージョンを踏襲していただけなのか。

エンディングが真逆であってもそれもまた真なり。
語るも好き好き、聴くも好き好き。