画業50年“突破”記念 永井GO展 - 幸せになれる図録 -
行ってきました。
金沢。
入り口では、マジンガーシリーズがお出迎え
「シレーヌ 空魔の舞」(ボークス)が飾ってあってうっとりしてしまいます
原画を間近に観ることが出来たのはうれしい誤算です。
近寄ってじっくり観ると、ベタ塗だと思っていた部分が、実は一本一本線を引いた結果がベタのように見えるだけだったりする。
これは印刷では判断がつかなかった部分で、勢いをたっぷりと感じながらも、作画の緻密さに驚いてしまいます。
直しも少なく、ここしかないという線を一気に書き上げるプロの凄みを感じさせます。
若い頃の筆の勢いは失われていますが、今の豪先生の作画も嫌いではありません。
若い頃と違う分、加筆修正が分かりやすいし、どちらにしたって永井豪であることに変わりはない。おおらかな気持ちで、作品を観ています。
永井豪の作風として、自分の作品をさらに被せて新たな作品を創出するところに面白みを感じます。
映画でいえば、マーベル・シネマティック・ユニバースやDCエクステンデッド・ユニバースのような同一世界観のクロスオーバー。
永井豪作品の登場キャラクターをクロスオーバーさせる描き方に“またやってるな”と感じつつも、ワクワクしたものです。
デビルマンにデビルマンレディ。バイオレンスジャックなどは、永井豪作品の集大成らしく、キャラクター乗せの強引さといったら笑ってしまうほどです。
さらに、ストーリーの骨格部分ですら、裏設定として共有したりするのだから驚いてしまいます。もちろん、後付けではあるのでしょうが、それをすることを許すキャラクターの生き生きとした姿やそのキャラクターの持つ生命力に作者自身が動かされていく熱意を紙面からも感じられます。
図録を眺めているだけで、本物を観た時の興奮が思い起こされて、幸せな気持ちになれます。
往復900kmのロングドライブでしたが、観る価値ありです。
大阪・東京にも来ますが、じっくりと堪能できるのは石川展だけではないでしょうか?
次回、機会があれば、豪先生のふるさと・輪島の永井豪記念館にも足を運びたいと思っています。
友だちはいません
友だちはいません。知り合いも数えられるほどです。今は職場があるのでそこに仲間がいますが、友だちではありません。
歳を取ってしまったので、サイクリングの仲間とも多分足が合わないでしょう。衰えるとはそういうことです。言葉通り、足手まといにはなりたくありませんから一緒に走ることはないでしょう。
人は人ともっと分かり合わなければならないということへの違和感。相互不理解を前提として共存していくことの意味。
映画 聲の形(2016)
君に生きるのを手伝ってほしい
昨日観ていたのだけれど、咀嚼しきれない部分もある。原作ありきではないけれど、読んでみたら見えるものがあるのかもしれない。
自分はいじめっ子でいじめられっ子だった。その行為が自分に返ってくることは実体験済みで、主人公の心情は痛いほど分かる。
虐めていた相手から年賀状が届いて、“今年もよろしくね”と手書きで書かれていたことの衝撃。
急に学校に来なくなったそいつの母親から“学校で唯一の友だちだっていうから、お見舞いに来てあげてね”と告げられ、ビビッて逃げてしまったこと。
イラスト1枚を約束の日までに書き上げられなかったために、嘘つきだと蔑まれ、1年間誰も口をきいてくれなかったこと。その中で、朝鮮人の女の子ひとりだけは、いつも優しく声をかけてくれていたこと・・・そのためのいわれなき人種差別に彼女はさらされていたのに、助けられなかったこと。
そんな自分の体験がフラッシュバックする。そんな思い出も反芻しつつ、繰り返しじっくり鑑賞したい。
京都アニメーション制作。
悲惨な事件に巻き込まれたことが、腹立たしく悲しくて仕方がない。
辛い。
映画『聲の形』公式サイト
そろそろ、切り捨てていくものが必要だと感じている。
音楽
ギター弾きだが、弾かなくても良いのかも。創造的では全くないルーチンをなぞるだけなら要らない。ギターやアンプなどできる限り処分しても良い。
聴く方は相変わらず楽しんでいるから、その時間は大事にしたい。
映画
便利な世の中だ。ネット配信や買い貯めたディスクで毎日楽しんでいる。1日1本。
書籍
これも映画同様インターネットの恩恵にあずかっている。kindleには辞書機能がある。文字列を選択して読みや意味を知ることが出来るため大変便利だ。
ただ、音楽や映画に時間を割いている分、圧倒的に以前に比べ本を読まなくなった。
積読増加中。
ネット
職場への行き帰りに、ずっと俯いたままスマホを見ることは避ける。
地下鉄がメインなので、景色も何もないが、あの俯いている姿が醜くて嫌いだ。
PC画面を眺めている時間は、映画を観る時間とほぼ同じかな。プラスするなら、こうやってブログを書く時間くらい。
今やりたいこと
『お前はまだグンマを知らない』に出てきて気になっている場所がある。
永井豪に関する雑記の続き
石森章太郎が、『サイボーグ009』で中断した「天使編」の構想を改め描き直した「神々との闘い編」(1972)だったが、こちらも完結することができなかった。
キリスト教文化を題材として大きく飛翔し、人類滅亡までを描いた『デビルマン』に師匠の石森章太郎は衝撃を受けて、『天使編』『神々との闘い編』を完結できなかったのではと思ってしまう。
『デビルマン』自体が石森章太郎の『仮面ライダー』を究極に突き詰めた姿だったのだが・・・恩返しになっていたのかな?
同時期に描かれた『マジンガーZ』では古代ギリシア文明(ミケーネ文明)を題材にしている。テレビアニメにバトンを渡して未完なのが歯がゆいが、その造形は後々のロボットものの礎を成すもので、ロボットに乗って操るところが燃える。『鉄人28号』にしろ『ジャイアントロボ』にしろ、外から操るのが常だったのだから。
『マジンガーZ』『バイオレンスジャック』『キューティーハニー』・・・どちらも終わったような終わっていないような未完の出来。とんでもなくカッコよく衝撃的で素敵なのだが、未完成感が漂う。きっと完結することがないところも魅力なのだろう。
バイオレンスジャックのOVAアニメ・・・単発もので完結性はほとんどない
『デビルマン』のラストは早急な唐突感は否めないが、人類滅亡の果て、勝者なき闘いの末に訪れる悲しさ、惨さ、儚さなどを描き切っていて、これをアニメ化することは難しいのかもしれない。
テレビアニメ版『デビルマン』は、ヒーローらしい必殺技と、敵のデーモン族との戦いをシンプルに描いていて、漫画のようなカタストロフィには突き進まない子供向けアニメだった。『マジンガーZ』同様、アニメの企画と連載漫画が同時進行したが、『デビルマン』はどちらも最終回まで走り抜けた感じだ。
漫画版『デビルマン』の衝撃は、人類の存続に意味を問うたことだと思う。後々『新世紀エヴァンゲリオン』に繋がる“人という存在”を説いた最初の漫画かもしれない。
そう思うと、『バイオレンスジャック』で描かれた荒廃した世界は『北斗の拳』や『マッドマックス』シリーズの礎となっているのかもしれない。人の存在意義を常に問い続ける穏やかな表情の永井豪先生は天才なのだとひしひしと思う。
漫画版『デビルマン』の映像化は、ファンの期待値の異常な高さもあって満足するものが少ない。
OVA版は出来が良い。
『デビルマン 誕生編』(1987)、『デビルマン 妖鳥死麗濡編』(1990)、音響劇『デビルマン・アーマゲドン編』(1998)を収録。アニメ版としては未完成なものでエンディングまでの音声特典が含まれる。音響劇の完成度は高いが、ここまで作ったのなら最後までアニメ化して欲しかったというのは正直な気持ちだった。
そこを満足させてくれたのが湯浅版だったのだ。
湯浅政明監督の描いた『DEVILMAN crybaby』(2018)は、湯浅監督らしい作画・演出の新しいデビルマンで、しっかりとエンディングまで描いて完結していることに大いに評価できる。今まで完結したものがなかったのだから。
今はこれで良かった。次回アニメ版は・・・庵野監督『シン・デビルマン』が観たいなあ。
追伸:UPして気がついた・・・ついにブログの更新が途絶えてしまった。ちょっと気持ちが折れたようなホッとしたような変な気分だ。ペースを落としても良いかもね。
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エルフェンリート - 居場所を求める物語 -
お決まりの萌え系ハーレムアニメの体を装いながら、しょっぱなから派手なスプラッターをかましてくれる。グロ系が激しく苦手な人は見ない方が良い。
エルフェンリート(2004)
人間の遺伝子の突然変異によって生まれた側頭部の対となる2本の角とベクターと呼ばれる見えない腕の特殊な能力を持つ女性型ミュータント・二觭人(ディクロニウス、觭は「角奇」)。彼女らは人類を淘汰する可能性を持つとされ、離島の国立生態科学研究所に国家レベルでの極秘機密として隔離され、研究されている。 ある日、研究所に隔離されていたディクロニウスの少女・ルーシーは、警備員のスキをついて拘束を破り、研究所室長・蔵間の秘書・如月を含め警備員ら23人をわずか5分で殺害し、研究所からの脱走を試みる。海に飛び込む直前に頭部を対戦車用徹甲弾[8]で撃たれるも、幸い軽傷で済んだルーシーは海へ投げ出される。 一方、大学に通うために親戚を頼って鎌倉にやってきた青年・コウタは、いとこのユカと共に由比ヶ浜を訪れた際、そこで浜辺に佇む全裸の少女を見つける。その少女は、海へ投げ出された後に由比ヶ浜に流れ着いたルーシーだった。 ルーシーは頭部への銃撃が元で記憶を失った上、人格が分裂して全く別の人格が発現していた。「にゅうにゅう」としかしゃべれなくなった彼女をにゅうと名付けたコウタとユカは、彼女が人類を滅亡させる存在であることを知らないまま、コウタが住むことになる楓荘に連れて行き、一緒に暮らすことになる。 Wikipedia
残酷なバイオレンスやスプラッター、児童虐待、ヌードなどのエロ、サイエンス・フィクション、百合、ラブコメ、何でもありで、他作品の影響も強烈でパクりまくった分、この作品の影響力も高いんじゃないかと思う。
『AIR』、『Kanon』、当然『新世紀エヴァンゲリオン』あたりからの影響は強そうで、そこがまた良い。
今の感覚からすると、映像的には稚拙だし、設定が鎌倉周辺だからなじみのある分、リアリティに引きづられて唐突な場面転換に違和感がある。それでも、これを描きたいとう明確な意思が伝わってくる。話数に必然があるから、サービス回もない。
それぞれの心のヒリヒリする居場所探しのダークなドラマに胸が締め付けられる。
ポロリもあるしボトリもあるよ。
『シン・ゴジラ』でゴジラが米軍の攻撃を受けて切れるシーンで流れる曲と、『エルフェンリート』の主題歌「LILIUM」の親和性がすごく気になるのだが・・・『シン・ゴジラ』の分厚い本を取り出して調べてみようかと思う。
オリジナルではないけど、海外で評価が高い作品でテーマ曲もかなりカバーさせている(この抜粋だと『シン・ゴジラ』感が感じられないか・・・)
『七つの大罪』と『sin 七つの大罪』は全く関係ない
ということに最近気がついた。
録っただけで観ていなかった『sin 七つの大罪』
色っぽいお姉さんの登場する自分好みのどうしようもないアニメだ。
こういった屑アニメ(褒めている)が好物なのだ。
夏アニメなら、『可愛ければ変態でも好きになってくれますか?』が一押しと言ったら、残念な性癖を理解していただけると思う・・・という話ではない。。。
NETFLIXをチェックしていたら、『七つの大罪』というアニメが目に入った。
ちょっと調べたら、週刊少年マガジンで連載されている人気漫画で、アニメも2期、劇場版もあったようだ。この秋は3期目もあるというから、大人気コンテンツということになる。
アニメの1期の第4話まで観た。
ヤバい、面白いではないですか!(今更で申し訳ない)
という感じで、しばらくハマってしまいそうな予感。