120rpm

ミル、キク、モノ、コト

(閲覧注意) - エクソシストの想い出 -

れはハリウッドからやってきた。

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少年マガジン(1974年 No.23)の特集記事はまだ抑制の効いたものだったが、少年サンデー(1974年7月7日NO.28)は凄かった。作画は楳図かずお、パンチがあり過ぎてトラウマレベルだ。
ネットで拾ったもので問題があれば削除するが、こんなだ。

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悪魔に取りつかれた少女の姿の公開はNGという情報統制の中(あくまで子ども同士でのうわさ)、このサンデーにはぶったまげた。
丸出しじゃないか!しかもパワーアップしている。

テレビでも連日特集番組が流れ、期待はマックスだ。公開を待ち焦がれた悪ガキどもは、大人につぶされてはならないと無理して指定席券まで手に入れた。

当日(日本公開後最初の日曜日)、早起きして仲間と新宿ピカデリーに向かった。驚いたことに、映画館を何周も上映待ちの観客が取り巻いていた。
でも、自分たちは余裕だった。だって、指定席券を持っているのだから。どんなに混んだって席は確保されている。

地下階に繋がる階段で事件は起きた。扉が開いたのだ。たぶん、前回が終わってその客を出すために開けたのだろうが、待ちくたびれて席のない自由席の客は我先にとなだれ込んだ。小さな体の自分たちはそれに抗うことも出来ず、グループも散り散りに。先にいた仲間は大人たちにもまれながら場内へ。入場寸前で、扉は閉められ、自分を含む数名の仲間は入ることが許されなかった。上映中止です!払い戻しは後日!と係員が叫び、滅茶苦茶な状況だった。

なだれ込んだ仲間数人は映画を観ることが出来た。上映中止ではなかったのだ。指定席などあってない状態で立ち見だったというが観たことに違いはない。

“ピカデリーの柱が折れて、劇場が傾いていたけど、映画観たんだぜ!”
嘘か誠か、そんな武勇伝を誇らしげに語っていた。

翌日の新聞に事の顛末が載った。

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1974年7月15日付『読売新聞』朝刊の記事

涙が出るほど悔しかった。

その時から、特撮少年は洋画に目覚めたと思う。

本編の話につづく