120rpm

ミル、キク、モノ、コト

日本人のへそ - アングラでくくってはいけないこともある -

上ひさしの戯曲「日本人のへそ」(1969年)の映画化作品。
井上ひさし井上靖がごっちゃになってしまうくらい、申し訳程度にしか本は読んでいない。「吉里吉里人」は読んだ。

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日本人のへそ(1977)
出演: 緑魔子, 美輪明宏, なべおさみ, 佐藤蛾次郎, ハナ肇
監督: 須川栄三

小劇場の舞台を借りて行われる吃音矯正の告白劇。本日の主役は、元浅草のストリッパー・ヘレン天津。アメリカ帰りの教授の指導のもとで行われる。東北・岩手、十年前。風景だけがやたらに美しい極貧の農村。中学生のヘレンが集団就職で東京へ出ることになる。ヘレンの恋人・ハットリ。へレンの父親は東京で交通事故にあい、娘の東京行きに強く反対していた。思いつめた父親は、娘を犯してしまう。このショックでヘレンは吃音者になってしまう。自殺も出来ず、ハットリにかくれるように東京へ。ある日、浅草で生まれて始めて、優しい男と出会う。そして、やさしい言葉をかけられ、この東大生に身をまかせる。だが、この東大生は、スケコマシのテキ屋であった。呆然と浅草の裏通りを歩いていて、ハットリに再会する。しかし、再びハットリの前から姿を消す。それから、職を転々とし、今やストリッパーになっている。やがて、劇場で人権ストが起り、ヘレンは、委員長になる。ところが、この告白劇の舞台に突如破局が起る。劇の指導者・教授が刺れたのである。実はこの吃音矯正劇で、真に吃音者であったのは教授に扮していたフナヤマ代議士一人で、彼の吃音を矯正するためであった。MovieWalker

映画は女優で観る。
まずは、緑魔子の魅力を楽しむ映画。

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今観ると、現代の閉塞感に対するアンチテーゼ。

過去記事でも書いてきたけど、差別と区別は違う。

吃音(どもり)を真正面から取り上げ、笑いのネタにするのは今は出来そうもない。
しろと言っているのではない。
社会の様々な面で、差別意識に過敏になり、ポリティカル・コレクトネスの名のもとに表現を規制する傾向が強まっていることに違和感を覚えている。
差別が生じる温床をそのままにして、差別の表現のみを糾弾し、言葉狩りをして封印しても、差別意識はアングラで強固になるばかりなのでは? 

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笑い事ではなく、『1984』の世界が現実に起こっていると思っている。言葉を封じてしまえば、それに関して具体的に語る術を失い、顕在化しないのだからそれが良いことだというディストピア

映画とは何か?
活動写真というくらいだから、アクション主体で意思を伝える手段・方法。
この映画は舞台の映画化だから、主体はアクションではなくセリフ(言葉)だ。

『日本人のへそ』の“へそ”とは?
言葉のこと。言葉の力にこそ、命や文化が宿る。

だから、吃音者の苦悩なのだ。言いたいことを言えずに、押し黙るしかない今の現状がオーバーラップしてしまうのはうがった見方なのだろうか?